TOP
ABOUT BELLY DANCE
PLOFILE
EVENT SCHEDULE
CLASS
EFFECT
GALLERY
CONTACT
古代エジプトをはじめ、トルコ、レバノン、モロッコ等、中東全域を発祥とした踊りです。腹部や腰を強調させて踊るため、欧米で「ベリーダンス」と呼ばれるようになりましたが、アラビア語では「Raks Sharki(ラアス・シャルイ)」=東欧の踊り、またエジプト語では「Balady(バラディ)」=国産、自然の、と呼ばれています。

アラブ諸国の中でも、5000年の歴史を持つエジプトが最も古く、ベリーダンスの起源を古代エジプトとする説が多いようです。エジプトの周りの国々もこの踊りを“エジプシャンダンス”といったりします。ドイツ人考古学者ハックマンは、3000年前に描かれていた壁画よりこの説を証明しています。手拍子をしながら踊る人、グループでダンスを踊る人々、足を上げて踊る人、演奏者達、これらの様子は既に3000年前の壁画に描かれていました。更に驚くべきことは、振り付け(ステップ)を描いたものもエジプトの寺院にて発見されています。

【古代エジプトでは】
その昔、古代エジプトでは、出産を助ける三人の女神を奉り、繁栄と豊穣を祈って、女性たちによって女性のために踊られたようです。そしてその踊りはやがて宮廷に入り、祭儀的であった踊りが初めてエンタテイメント性を帯びることになります。王家の支持のもとにダンサー達は高い地位に着くようになるのです。

【イスラム教が入ってから】
しかし7世紀(641年)、エジプトはアラブ軍に支配され、イスラム教がもたらされます。イスラム教の預言者マホメットは、歌や踊りを“魂を惑わすもの”として嫌ったため、これらは国から迫害されてしまいます。行き場を失ったダンサーは街中(ストリート)で踊ることを余儀なくされ、ベールで顔も隠さず踊るGhawazi(ガワジー)と呼ばれる集団が生まれました。また一方、ジプシーとなったダンサー達は欧州やアフリカまで流れていき、それぞれの地にRaks Sharkiの影響を与えていったとも言われています。スペインにおいてはフラメンコもこの影響を受けているという説もあり、また反対に、サガット(フィンガーシンバル)はペルシャからもたらされたものだといわれています。10世紀までは、ダンスや音楽は絶対的に禁止されていたため、ほとんど記録は残っていません。
【オスマン・トルコ帝国時代】 
オスマン・トルコ帝国にアラブ民族が支配されたオスマン・トルコ帝国時代(14〜17世紀)王宮のハレムに仕える女性達が王(スルタン)の関心を惹くために踊ったのが、今で言う“ベリーダンス”のはじまりだといわれています。

Badia`a Masabni

【黄金時代】
トルコの支配下にあったエジプトは、19世紀になるとイギリスの統治下におかれます。上流社会層が生まれたことによって、ショービジネスの世界が開花することになりました。
これまで結婚式や祭りなどの限られた場所でのダンスは、晴れやかな劇場のスポットライトを浴びることになるのです。当時、西洋の女性達が、コルセットでガチガチに締め上げたウエストで美しさを競っていた最中、豊満な腹部をおおらかにさらけ出した東洋の踊りが、西洋人たちにどれほどのショックを与えたことか・・・・。腹部を見せる“お腹の踊り”これが“ベリーダンス”という言葉の起源です。

以来、Raks Sharkiは西洋の舞台芸術の影響を受け更に洗練されていきます。1926年、べリーダンスの第一人者Badia’a Masabni(バディァ・マサブニ)が開いたナイトクラブ「オペラ・カシノ」はTahiya Carioca(タヒヤ・カリオカ)、Samia Gamal(サミア・ガマール)といったスターダンサーを生み出します。最盛期の1940年代まで、“黄金時代”として歴史に刻まれることになります。

1952年のエジプト独立後は、上流社会層に変わり富豪層の誕生でエンタテイメントの世界はかっこたる足場を確立していきます。1950年代になるとMahomud Reda(マフムド・レダ)率いる「レダ国立民族舞踊団」が設立されます。世界各国での舞台公演やミュージカル映画は、エジプト芸術を世界的なものにし、エジプト芸術界に多大なる影響を与えたのです。レダ国立民族立舞踊団のNaeema Akef(ナイーマ・アキフ)は、タヒヤ・カリオカとサミア・ガマールと共に、3大オリエンタルダンサーとして、今も尚人々の心を捉え続けているのです。

【ベリーダンスブーム】
1970年代以降も、エジプトは続々とスターダンサーを生み出します。Nagua Fouad(ナグア・フォアード)、Fifi Abdou(フィフィ・アブドゥ)、Suhair Zaki(スヘイラ・ザキ)、Mona Said(モナ・サイード)らの一流ダンサーは、専属のオーケストラと歌手を抱える女座長でもあり、1ステージのギャラは平均的なエジプト人の年収に値するほどです。歌も演技も出来る女優として、テレビや映画の大スターでもある一流ダンサーは、イスラム社会の女性にとっては数少ない出世街道の一つかも知れません。
1983年に、シカゴでおこなわれたワールドフェアーで、最も注目を集めたのがエジプト中央部のダンスでした。特にアメリカのフェミニスト達に、女性の美しさや神秘性を最も表現できる踊りとして絶賛を浴び、空前のベリーダンスブームに火がついたのです。演奏者とダンサーの呼応によって生まれる即興のダンスは、観客に大きな感動を与えたことでしょう。

【現代のベリーダンス】
こうして21世紀の今、ベリーダンスは世界中に広まり、様々なステージやレストランなどで踊られています。現代のベリーダンスは、エジプト系、トルコ系、トライバル系、ニューエイジ系と、大きく4つに分けられます。トライバルとはジプシー系の民族舞踊で、ニューエイジとは、アメリカナイズされた創作的なダンスを意味します。
エジプトでは現在も、結婚式やお祝いの席で、ベリーダンスが盛んに踊られています。これは、腹部や腰を振動させたり、くねらせたりするベリーダンス特有の動きが、女性の性的興奮を表し、子孫繁栄に繋がると信じられているためです。
女性が肌を見せることのないイスラム社会で、ベリーダンサーの存在は特別なものです。